株式会社 京阪互助センターは2021年6月1日をもちまして、創業50周年を迎えました。 この節目を迎えられたことは、たくさんの会員の皆様や、地元地域の皆様からのご指導、ご支援、激励が あってのこと。 また、この互助会の礎をお作りいただいた先人先輩達、または今を頑張っている社員・スタッフの皆さんの活動があってのことです。 ありがとうございます。 「50年」と一言で言いましてもその遷ろう時間は大変長いものです。 創業の1971年は大阪万博が開催されました翌年です。先日、NHKのアーカイブスの資料から大阪万博の様子を見ました。 映像技術はカラー映像に切り換えたての色彩であり、今ほど鮮明ではございませんでした。 また、万博会場に訪れる人々は男性がスーツ、女性が和服をお召しになっておられる方が多く、手荷物は風呂敷に包んで移動される方も多く見受けられました。 50年の時間を経て、衣・食・住のどれを取りましても、今の私たちの生活様式は大きく変わりました。 一方、冠婚葬祭も同じく、その様式は大きく様変わりしました。創業当時の互助会会員証を見ましても、役務の内容が、当時と現在では大きく異なっております。 当時は結婚式では必ず結納がありました。仲人も立てておられました。 女性のお衣裳も白無垢や色打掛けが一般的でウェディングドレスはまだ外国人のものでした。 婚礼家具はトラックが何台も連なり街中を走り、地域によっては餅やお菓子が撒かれていました。 新婚旅行も南紀白浜や宮崎が人気を集め、海外旅行はまだまだ一般的ではありませんでした。 また、お葬式も大きく様子を変えています。 施行場所が会館ではなく、ご自宅やお寺での施行が一般的なものでした。 子供の頃、学校帰りにお葬式をしている家の前を通るときに、親指を隠して通過したり、くるくる回る造園の水車を見ては、何か遊びたい衝動にもかられました。 お供えの樒も、今はお花にすっかり取って代わられました。 霊柩車は今でこそ「宮型」と言いますが、当時はその作りの霊柩車が一般的でした。 50年の時間の中でお客様のご要望の変化の大きさを感じます。 ただ、時流と共に冠婚葬祭の様式は変わりますが、人生の節目の行事として、成長を祝う気持ち、新たな門出を祝福する気持ち、別れを悲しむ気持ち、先人に感謝する気持ちなど、冠婚葬祭にまつわる人々の気持ちの大切さは変わっておりません。 今後も京阪互助センターはお客様の人生の節目のお気持ちを大切にしてまいり、冠婚葬祭を通じお客様の生活の一助になればと思っております。 2025年には再び大阪で万博が開催されます。 また50年先の人々が2回目の大阪万博を振り返るときに、冠婚葬祭や生活様式の変化に大きく驚くことでしょう。 しかし、私たちが取り扱う人生の節目の行事を大切にする気持ちは、「ずっと変わらないんだなぁ。」と感じるように、私たち、京阪互助センターは社員・スタッフがお客様の気持ちに向かい合って仕事をしていきたいと思います。 明日の私たち、未来の後輩達に「京阪互助センターは良い互助会だなぁ。」と思ってもらえ、バトンタッチできるように、今日からも未来に向かい一緒に頑張りましょう。
今年で、弊社は満50年を迎えることになりました。(昭和46年6月1日創業) 私自身の社歴も42年となりましたので、おおよそ会社と人生を共に歩ませていただいておる次第です。 人間は年を取ると体力知力も衰えてまいりますが会社(法人)はいくらでも長生きすることができるようです。ちなみに日本で1番長い歴史がある会社は大阪市に本社がある「金剛組」で1430年も続いているそうです。古都京都にも古い歴史の会社は沢山あり百年くらいの歴史ではまだまだ古いといわれないそうです。 しかし、冠婚葬祭の互助会業界の歴史では中堅古参といえる歴史になりました。京都のセレマ創業者で玉姫グループ総帥故齋藤近次郎氏が始めた事業を大阪で、そのご長男である故齋藤眞一氏が弊社を創業され現在にいたります。 弊社は人間に例えれば働き盛りの年齢となりました。先人先輩達が築き上げたこの歴史を次の世代へ引き継ぐ為、これからの1年1年を思い切り働いて築いていく年にしたいと思います。 新人もベテラン社員も管理職役員も全社一丸となり新しい歴史を作っていきたいと誓う年にしたいですね。 「温故知新」ということわざがありますが、古き昔の良いところを残しながら常に新しいものに挑戦してきた弊社の歴史を、さらに次の世代に渡せるよう努力しなければなりません。皆さまの絶大なるご理解とご協力をお願いいたします。 50周年記念行事として、各部署別のキャンペーンや事業企画、また50年をスタートとするイベント事業なども計画しておりますので楽しみにしておいてください。 最後になりましたが、世界的なパンデミック「新型コロナウイルス」に負けないで、明るい未来を築く
座談会
2021年4月27日-前編